"Hitogata”Dollひとがた
人形製作 高橋弘至
染色機織 吉倉ますみ
上方落語に『風邪の神送り』という演目がある。
風邪の神さまの人形を作り、川へ流し追いやる、
明治以前までは行われていた風習がもとになった噺だ。
日本人は八百万の神が居ると信じていた。
数多いる神には貧乏や病気の神さまもいて、それを川や海に流してしまおうというのが面白い。
祓戸大神の瀬織津比売、速開都比売、気吹戸主、速佐須良比売の四神は、
まず川から海に流して、次にそれを飲み込んで、
今度は根の国底の国に追いやり、そして最後の神さまは亡くしちゃう!
なんとも都合の良いやり方で罪や穢れを祓い去ってくれる。
私たちはそれを滑稽に思うけれど、しかしそれを自然に受け入れてはいまいか。
人形代(ひとかたしろ)は七世紀頃より中国大陸から日本に伝わった、
木製の薄い板で出来た大小さまざまな人の形をした祭祀の道具と考えられている。
墨で文字が書かれたり、顔が描かれているものもある。
平城京跡や滋賀、兵庫、鳥取、広島などの遺跡で出土した人形代は
祭祀、祓い、祈願、平癒、災厄、呪詛などの目的で作られたと思われている。
側溝や河川から出土した物は、
現代でも残っている水に流す祓いの起源としての可能性が指摘されている。
また時代が下がると天児(あまがつ)、比々奈(ひひな)と呼ばれる人形が作られた。
こちらは幼児の魔除けや厄除けのお守りのような意味合いだったと考えられている。
稚児うつくしみたまふ御心にて、天児など、御手づから作りそそくりおはするも、いと若々し。
源氏物語 若菜上
お祓いや浄化とは、リセットつまり再生儀式ではないかとぼくは思う。
今も昔も再生は個人にも、あるいは集団にも必要であり続けてきた。
今の状況が永遠に続けば良いという人も世の中に居るが、
多くの人は不要なものを捨て、変わりたい、やり直したいと思っている。
けれど私たちがそこで実際に出来る行為から得られるのは、
一時的な変化であり、生まれ変わるような本質的な変化ではない事を自覚している。
しかし同時に突然解雇されたり、余命を告げられたり、
大切なものが悉く失われたりする惨事がこの世の中に存在している事実も私たちは知っている。
その様な不安と恐怖は、太古から連綿と受け継がれている。
私たちはその様な事が我が身に降り注ぐとは思いたくないし、
万が一起こった時の自らを想像するのはとても辛いものだ。
そんな事は受け入れられない。自分には無理だと。
だが人は思い切って変化出来る存在で、
再生可能であるという考えを停止してはいけないと思う。
海千山千會のひとがたを見て、昔から人はいつでも再生し得えてきたと思ってくれたら嬉しい。
海千山千會 立沢木守
ひとがたの特注のステッカーを同梱。特殊蓄光インクでプリント。暗闇で文字が光ります。